備忘録

2.5舞台 時々J

疲れたアイドルとオタクの話

2019年1月27日 17時13分
出勤前のわずかな時間に呑気にデレステのイベントをやっていたわたしのスマホが衝撃的なLINE NEWSを表示した。

"「嵐」2020年に活動休止"

もう訳が分からない。とりあえずTwitterを開いた。FCサイトに動画が上がっているということだったから会員ページを開いた。当然のごとくなかなか繋がらなかった。いざ繋がったら動画は8分弱あった。この時点で家を出るべき時間まであと10分足らずだった。
スマホの音量を最大にして母に持たせてとりあえず家を出る準備をした。大野担の母は一言も発しなかった。動画が終わると、ただただ仕事に行きたくないな、と思いながら家を出た。


初めて嵐のCDを買ったのは小学生の時だった。
気付いたら毎回初回盤を予約して、レギュラー番組を毎週録画して、FCに入会して、わたしは嵐のオタクになった。
初めの頃は予約し忘れるとCDの初回盤なんて手に入らなかった。録画した番組は出来る限り全部DVDに落としていた。コンサートなんてちっとも当たらなかった。でも、それでも楽しかった。
数年後、他に気になるアイドルを見つけた。同じジャニーズだった。その時わたしは高校生で、友達にもコンサートに行ったことのある子が増えてきて、とにかくコンサートに行きたい気持ちが大きかった。FCに入会して、人生で初めて行ったコンサートは、嵐ではなかった。
そこからいわゆる掛け持ちオタクの人生が始まった。FCに入ってさえいればほぼ確実にチケットが取れるオタクは楽しかった。いろんなグループのコンサートに行ったけど、嵐だけはなぜか毎年当たらなかった。
そして、2015年のJaponismツアーで初めて名義が仕事をした。今までワクワクには行ったことがあったけれど、生まれて初めての嵐のコンサートだった。他のグループでも感じたことだったけれど、ステージの上で歌い踊る嵐を見て、「意外と小さいんだな」とぼんやり思った。会場にはコスプレしたオタクや顔真似ナリ垢で独自のコミュニティを築いているオタクがたくさんいた。明らかに他のどのグループよりも多種多様なオタクがいた。なんだか居心地が悪くなって、コンサートに来るのはもういいやと思って、この年限りで嵐のFCの更新をやめて茶の間になった。20周年の時にでもまた入り直せばいいと思った。


2018年の5×20ツアー、特に一緒に行くような友達もおらず、妹の受験が近く母も行く気がなかったので、結局FCには入り直さなかった。追加公演が発表された時に、来年は一緒に行こうねと話した。1月下旬から申し込みが始まると聞いたのでそれに合わせて数年ぶりにFCに入会した。会員番号は当時より150万以上遅い番号だった。申し込み詳細が発表され、同行者も会員であることが条件だと知った。母と行くには、母の名義も必要だった。今から入会しても間に合うのかと悩みながら、その日は一度保留にした。それがたった2日前のことだった。



夜遅くまで仕事をしていて朝のワイドショーもまだ見る気が起きていないので、会見で彼らが何を語ったのかは詳細には知らない。
ただ、「普通の生活がしたい」という言葉に自分でも思ったより傷付いている。

そもそも芸能人という職を選ぶ時点で、一般人のような「普通」を売り渡したも同然なのだから、今さら「普通」に憧れられても困るのだ。オタクは「普通でない」彼らを「普通」に生きるための糧にしている。そんな人にある日突然消えられると、オタクは息の仕方も分からなくなってしまう。昔から常々アイドルはみんなの物であるべきだという持論があるので、推しや担当が既婚になった時点で彼にお金をかけることは一切辞める心算でいた。数々の制限がある「普通でない」生活を強いられて然るべきだと思っていた。

今もこの考えは変わらない。アイドルという仕事を選ぶならその覚悟は持っていてもらわなければ困る。ただチヤホヤされたいだけなんて甘い考えは捨ててしまってほしい。ただ、ひとつ間違えていたとしたら、いつの日か担当が「普通の生活がしたい」なんて言い出すと思ってなかったことだ。

かつて「普通の女の子に戻りたい」と言いマイクを置いたアイドルがいたように、芸能人にとっては「普通」が喉から手が出るほど欲しいものなんだと思う。ただ、その欲しがった「普通」は、もはや一般人の定義である「普通」とは根本がずれてしまっている。どう足掻いたところで彼らは普通の生活なんて送れるわけがないし、そもそもごく一般的な会社員は産休育休でもない限りそんなに長期のお休みなんて取れやしない。もうその選択をする時点で「普通」ではないのだ。
でも、普通の会社員はよっぽどのことがない限りプライベートに口を挟まれない。街中を歩く時に変装をしなくていい。するかどうかは別として転職だって自由に出来る。今回の活動休止期間、わたしには転職活動期間のように思えてならない。芸能人だって転職する権利はあるもんな。
もしこれが彼の欲しかった「普通」なんだとしたら、彼から「普通」を奪ったのは社会とオタクだ。わたしのようにアイドルに対するエゴを抱えていて、それを勝手に押し付けて言いたい放題している人間が何十万、何百万といて、それを一身に浴び続けていたらそりゃどこかでネジも外れるし歯車も狂うよな、と。
担当ではなかったけど、元々アイドルが向いている人だとは思ってなかったから、いつか言うだろうとは心のどこかで思っていたけど、でもここまできたら一生言わないだろうという根拠のない自信もあった。こんなに彼を疲弊させていただなんて思いもしなかった。20年間で溜まりに溜まった疲労が、彼にとっての夢物語である「普通の生活」への憧れと渇望を加速させてしまったのだろうか、とか思ってないとやってられない。いち茶の間ですらやってられないんだから嵐のオタクのことはしばらくそっとしておいてほしい。

今ジャニーズではなくとある若手俳優を応援しているけど、彼も「この仕事が楽しいと思えるうちは頑張っていきたい」というニュアンスの言葉を口にしていた。そうだよな。こんな特殊な人生を切り売りする仕事、楽しくないと続けられないよな。
いろんなオタクが「推しは推せるうちに推せ」なんて昨日から散々口にしているけど、せめてオタクのせいで仕事が楽しくないなんて思わせる推し方はするなよと思った。
ただオタクがいるから食べていけるんだよと思ってしまう自分もいるから、本当にオタクってエゴのかたまりなんだよなあ。いつからこんなに醜い生き物になってしまったんだろうなあ。

結論までどっかいってしまった。結局はみんな自分が可愛くて、自分の心を守ることに必死で、そうして誰かの人生の犠牲の上で生きているんだなってぼんやり思った。自分の好きな人の人生を犠牲にして生きてるオタク、罪深いな。もうしばらくはやめられないけど。

推し、いつまでこの仕事を続けてくれるんだろうな。