備忘録

2.5舞台 時々J

ある日突然Jr.担になった元デビュー組担が再びデビュー組担に戻される話

 

紆余曲折ありながらジャニヲタ人生もめでたく10周年を迎えたこの年、私は突然Jr.担になってしまった。

 

きっかけはYouTubeのジャニーズJr.チャンネル。

研修所生活を強いられる中、ぼんやりとTwitterのトレンドを眺めていた私の目に飛び込んできた「A・RA・SHI」の文字。歌番組でもやっていたっけ?と思いつつ関連ツイートを見ると、どうやらご本家様ではなく後輩Jr.がYouTubeの動画で話題にしていたご様子。それが私とジャニーズJr.チャンネル、そして9人体制になったSnow Manとの出会いだった。

 

掛け持ちと担降りを繰り返してきた私の周りには同じような友人が多く、もちろんSnow Manに担当のいる子もいた。ただ当時の私の中でJr.担と言えば「怖い、大変、なんかヤバい」というイメージが強く、どんなに気になる子がいてもせいぜい少クラを見るに留め、「絶対にJr.担にはならない」とさえ思っていた。だってデビュー組の掛け持ちしすぎて、高校生じゃお金がいくらあっても足りないじゃん?

A.B.C-Zを2年ほどかじっていた期間があるので、Snow Manの6人には当時わりとお世話になった。11人で魅せるアクロバットは圧巻だったし、彼らがバックにいることへの安心感は大きかった。でもそれで終わりだった。少クラはえびと当時掛け持ちしていたジャニーズWESTのために見ていたし、コンサート中目の前に来てくれても私は双眼鏡で遠くの自担を見ていた。今考えるととんでもなくもったいないことをしていたと思う。オタク人生、いくら後悔してもし足りない。

それ以降何がきっかけかは忘れたがジャニーズから少し離れ、一時期はすべてのFCから退会すらしていた。若手俳優に熱を上げ、2.5次元舞台に通い詰める生活をしていた。この頃の私は大学生になっていた。お金を稼ぐことを覚え、遠征することを覚え、現場に行くことが全て、現場しか頑張れるところがないオタ活を3年続けた。現場のスパンがとにかく短く、2ヶ月に1回は舞台の本番がある生活。熱が冷めるタイミングすら与えられなかった。

本当にお金がかかる。頑張って推そうとすればするほど、今までのデビュー組すべての掛け持ちをするよりお金がかかる。だって現場に行かなければ、彼らからの供給は毎日のブログやSNSの更新しかない。毎週レギュラー番組に出ないし、CMも流れない。ニコニコ動画の生放送は1週間で観られなくなってしまう。だから観劇数は少なくても定期的に行くようにしていた。

初めて東京遠征したのは橋本良亮くんのソロコンの時。それ以降、年に1回だった東京遠征が2回に増え、3ヶ月に1回、月に1回…今月は2回の遠征と、10月11月は2週連続で東京行きの夜行バスに乗る予定さえある。ここまでになってしまえば、もはやJr.担に抱いていた「大変」なイメージなんて可愛いもんだ。

 

「怖い」に関して言っても、これはどこの界隈もオタクは怖い。金出してる人ほど怖い。思考が物騒になる。実感した。金も出せない奴が口を挟むな。まさにその通りだと思った。なのでこれについてもクリアだ。

残るは「なんかヤバい」だけだが、これについてもどこの界隈もオタクはなんかヤバい。というよりも、それぞれの界隈で独自のルールや文化が存在しているわけで、外野にはそれが異様に見えてしまい「ヤバい」というイメージが残ってしまうだけだと感じている。どこに行ったってヤバいやつはいるのである。

 

さて、ここで学生だった私の目の前に立ちはだかっていた壁が全てなくなったわけだが、残されたのは推しへのモチベーションが低下した根っからのオタク女と毎月一定額の安定した収入である。当然のごとくYouTubeで気になった子たちに投資しちゃうのだ。好きなものには金使ってナンボって生きてきたからね…………

さらには学生だった数年前よりも格段にJr.担のしやすくなった環境も拍車をかける原因となった。だってYouTubeの面白いアイドルの男の子たちのライブがワンコインでスマホで見れちゃうんだよ???その日暇なら買うしかなくない???

 

てなわけで日々滝沢社長の戦略にまんまとはまり続けていたわけだが、無事にサマパラ2019のチケットを手にし、ワクワクしながら当日を待っていた。7月はとにかく推しの現場が忙しくてあっという間に終わってしまった。気がついたら、あの日がやってきていた。

 

 

 

2019年8月8日

どうしても仕事を終わらせられないためやむなく後半分の配信を購入し、無理やり19時前に退社し駅で開いた配信の画面。会社の最寄りから自宅の最寄りまでは3駅、所要時間3分。ちょうどその時はMCで、ハイハイか美少年が喋っていたタイミングだった気がする。

各Gのお知らせごとが進み、ストトラのインスタにいいなあと言っていた矢先のWeibo開設とアジアツアーの決定。「国外まで追いかける元気は果たしてあるのか…?」と自問自答していた(ちなみに1人海外にビビって推しの海外イベントは干した)。

ストのJr.チャンネル卒業とアーティストチャンネル開設のお知らせ。この時にSixTONESのデビューは確信していたし納得もした。むしろさっさと出てくれとさえ思った。まるで滝翼のデビューを待ち望んでいた当時のJr.みたいな気持ちだった。そしてSixTONESの6人から大切なお知らせがあるという発言があった時、電車がちょうど最寄りに到着した。

駅のホームで端に避けながら順番に映る6人の顔をどこか無感情で見つめていた私の目に、突然7人目が飛び込んできた。深澤辰哉さんだった。息を呑んだ。突然心拍数が跳ね上がった。もちろん阿部亮平さんの顔も映し出された。Jr.担になって3ヶ月、初めて担当のデビュー発表の瞬間に立ち会うこととなった。

 

 

6人時代を知る9人出の新規に何かを語る資格なんてないのかもしれない。先輩グループが脱退休止退社を繰り返しどんどんと勢いを無くしていく中、俺たちのヒロムまで失って、この先この事務所からデビューすることにもしかしたら意味はないのかもしれない。それでも、大好きな人が、長年の夢を叶える瞬間を見ることができるのは、こんなにも幸せなことなのかと思った。あのままデビュー組のオタクだけを続けていたら分からなかった感覚だった。人気が出て、テレビにレギュラーを持つようになって、ゴールデンタイムのお茶の間に認知されるようになってきた人にしか興味を持たなかった頃には、絶対に知ることのできない喜びだった。たとえそれが万人から喜ばれる形でなかったとしても、大好きな人が夢を叶えたことを、私は素直に喜びたいと思う。

 

まあ結局は来年からまたデビュー組のオタクになるんですけどね、というお話でした。